後藤健二さんが3歳の時に離婚し、幼い後藤さんを残して家を出たと言われている石堂順子さんが、ドイツ紙の取材に対し「今日まで政府から連絡はまったくありません」と答えたとして、日本人ジャーナリストが「安倍政権は非情だ」とツイート。
多くの賛同意見が寄せられていました。
私も実の母と育ての母が違います。
そして身近にも、幼いころに実の母が家を出て行き、今の母に育てられた、或いは父親の男手ひとつで育てられたという人は大勢いらっしゃいまして、そのほぼ全員が大人になった現在まで実の母親とは連絡を取り合っておりません。もちろん子供が生まれたという連絡もしていません。
生みの親より育ての親という考え方が日本にはありますし、子供にとっても少なからず心の奥底で「自分を捨てた母親」という認識があります。
私自身もその一人です。そもそも、今どこで何をしているのか、連絡先も知りませんし連絡だって一度も来たことがありません。
そんな人に、家族を置いて行ってしまった人に、何か大事があったからと言って家族がいちいち連絡するものでしょうか?と個人的には思うのです。
もちろん、有事の際には、家族が望めば行政や警察が居場所を探しだしてくれるケースもありましたし、相続問題がおこれば弁護士さんや司法書士さんがあの手この手を尽くして居場所を見つけて連絡を取ってくれますが。
今回の件に関しては、
後藤健二さんの家族から、「後藤さんが何者かに拘束された可能性が高い」と政府に連絡が入り、12月3日の時点で日本人2人がそれぞれ行方不明になったことを把握した直後に対策室を設置するなどしており、その後は連絡を取り合っていたとされています。
つまりは、
後藤さんのご家族が、実母である石堂順子さんにあえて伝えなかったと察するべきで、そこを「政府は何も教えてくれなかった」と言ってしまったり、赤の他人が「安倍政権は非情だ」と言うのはちょっと違うのかなと思うわけです。
実母にしてみれば腹を痛めて産んだ息子の一大事なわけですから教えて欲しいと言うのは当然ですが、残された家族の心情はどうなのでしょうか。
ここで優先すべきは幼い後藤さんを残して家を出てたのに事件を知って姿を現した実母の意思でしょうか。それとも後藤さんと暮らした家族の意思でしょうか。
一方だけの意見に耳を傾け、実母に連絡しなかった安倍政権は非情だと非難することは、
断腸の思いで実母に連絡をしないという決断を下した、長きにわたって後藤健二さんと共に暮らし苦楽を分かち合ってきた本当の遺族であるご家族を非情だと非難する、悲しむ遺族にさらに鞭を打つような行為であるような気がするのすが、どうでしょうか。
今日まで後藤健二さんと暮らしたご遺族を思いやるならば、ここは黙ってご冥福をお祈りするのが本来の人としての有り様なのかなと思うのですが。
もしも私が死んだとしても、どこにいるかも知れない実母には関係の無い話で、連絡もしなくて良いし葬式にも来てほしくないと思っていますし、いまさら出てきたところで遺族に大混乱をもたらすだけで迷惑だとも思っています。そうした思いを家族が察してくれてその通りにしてくれたのに、それなのに、実母が出てきて「役場は教えてくれなかった!」と捲し立て、他人が「役場は非情だ」と騒ぎだしたら、これはもう、家族や役場のためにも、連日連夜に渡って枕元に化けて出て祟りに祟って呪い殺してやろうかと思う事案になるわけです。
あくまで個人的な意見ですけれども。